アニェス・ソレルの話、約束をしていたよね。以下ちょっと内容が濃いので、スローな気分のときにフランスの歴史のお勉強がてらじっくり読んで欲しい。
15世紀半ば、シャルル7世の治世。フランス史上初めて公式の愛妾、といわれている絶世の美女、アニェス・ソレル。王の一目ぼれで、寵、権、美を誇ったアニェス・ソレルには、当然敵が多かった。当時まだ20代で急死したのです。死因については、暗殺説もあり、謎のまま。
彼女の墓はこの近くロッシュ城にあったのですが、ちょうど10年前、(もう10年も経ったのですねえ。)大きな話題をさらいました。城を所有管理するこのアンドル・エ・ロワール県から依頼を受けて、若い法医学者フィリップ・シャルリエ率いるチームが、アニェス・ソレルの墓を掘り出して、歯、骨、髪を分析したことが、大きな話題になりました。アニェスは歴史上の人物として、フランス国民の間に絶大な人気がある人物なのだから。
調査の目的は、何度も移動されフランス革命を経て破壊された結果、質素な壷に入っている遺骨たるもの、本当にアニェス・ソレルのものなのか?死因は何なのか?はっきり知られていない生年を限定することができるのか?といったところです。
古病理学者フィリップ・シャルリエのグループが半年かけて、頭蓋骨から、顔の復元作業をすると、当時の肖像画にそっくり。残っていた歯から歯根分析と出産年から生年を限定しました。歯根セメント質には、木の樹齢と同じように、年輪のようなものがあって、出産年は幅広くなっているんだって。
結論はほぼ100%アニェス・ソレルのものとなり、髪の毛の分析結果で明らかになった死因は、水銀の急性中毒死。
当時、アニェス・ソレルは、回虫症に苦しんでいて、シダ類(草)の虫下し効果にあわせて水銀塩?を飲んで、虫が腸壁に付くのを防いでいたそうです。間違えて、水銀の大量摂取をしたのか、暗殺なのかは、不定だけれど、侍医が傍にいて、間違えることも無いでしょうにねえ。
ということで、私は暗殺説が濃厚と思うけれど。特に、シャルル7世の息子(次のルイ11世)が、アニェス・ソレルの勝手放題を許せなかったのではないか、、、と、思える。(先回書いた、ジャック・クールも、投獄時、アニェス・ソレルの殺人罪にも問われていたけれど、これは冤罪です。)
ところで、この分析を責任担当したフィリップ・シャルリエという法医学者、去年、この地方で講演会があったので行ってきました。まだ40歳前のハンサムで、とても頭が切れます。(それにしてもこの若さでこの活躍とはすごいですよね。)考古学に強い情熱を持って、ミイラ始め、世界中のいろいろな古い墓の遺骨分析で、既に権威になっているのですよ。
彼の別名は、自他共に認める「墓場のインディアナ・ジョーンズ」ですって。「死は生の証拠である」ことが原動力。
最近、彼の本を読みました。分析の苦労話のほかに、又面白い話。アニェス・ソレルの子供たちは王の認知があって、皆ヴァロワ家(王朝)の子孫となった。そしてアニェス・ソレルの娘の一人がピエール・ド・ブレゼと結婚し、その子供ルイ・ド・ブレゼがかの有名なディアーヌ・ド・ポワチエと結婚。この多くの末裔が、現在ヨーロッパ中(フランス、スペイン、オーストリア、ベルギー、ポルトガル、ユーゴ、ブルガリア、ギリシア、トスカナ、サヴォア、ブラジル、ルクセンブルグ、、、)のロイヤル・ファミリーに脈々とつながっていることが、系図で明らかなのだそうです。
話が、複雑になってきたね。これまた絶世の美女ディアーヌ・ド・ポワチエについては、フランスの歴史で避けて通れない。又の機会にしましょう。