このブログではできるだけ簡略に説明をし、ロワールの城々が、歴史の中で演じた役割などわかってもらえたら。
きっと、城廻りも楽しさ倍増だよね。
私がよく行く日曜露天市が、そのランジェ城の前の広場にある、って以前に言ったよね。この日曜日、市場に行く前に、秋晴れを楽しむため、ランジェ城の裏山をウォーキング。人っ子一人いない森の中、秋のしのびよる気配を楽しみました。
11世紀の城塞も残る。当時、ロワール河を遡って攻めてきたバイキング攻略のため。
ロワールの城を少し深く理解するには、まず、お城と有名な事件、関わった王様の名前とその時代がわかったら、とっても面白いんだけれど。歴史小説で時代を理解していくと、城を訪れるたびに、いろいろなエピソードを思い出して楽しいんですよ。
さて、1491年(日本の戦国時代のころ) フランスでも、国土統一がままならないとき。シャルル8世が隣国の大勢力ブルターニュ公国のアンヌ・ド・ブルターニュ女王と結婚したのが、このランジェ城。この結びつきで国土が一気に広がり、フランスの国力の基礎が作られたので、ここは仏歴史上重要な舞台なのです。
このランジェ城でシャルル8世が、署名させた結婚契約がとても有名。大きくなったフランスの国は、二人の間にできた男子に継がせること。しかし、もし、二人の間に世継ぎがなく王が他界した場合、アンヌ・ド・ブルターニュは次のフランス王と結婚し、その男子にフランスの王位を継がせること。この契約でブルターニュの所領はフランスを離れることが無いはず、という目算です。
1498年、このシャルル8世が世継ぎなく急逝。アンボワーズ城内の鴨居に頭をぶつけて脳震盪であえなく、、、。
直系の世継ぎがいないので、次の王は、従兄弟系から指名されたルイ12世。ただ、この人、既に先代ルイ11世の娘ジャンヌと結婚をしていたのです。さあ、大変。話は複雑になってきたよね。
王になったルイ12世、当時まだ子がいなかったので、どうしてもジャンヌと離婚し、アンヌ・ド・ブルターニュと結婚しなければ、ブルターニュの所領がフランスから離れるという一大事。
ジャンヌとの離婚裁判劇は、佐藤賢一「王妃の離婚」(直木賞受賞作)を読んでごらん。すごく研究していて面白いよ。私の大好きな本の一つでーす。
ルイ12世曰く、「王妃ジャンヌとは、実際に結婚の完遂が無かったので、結婚は無効」と言い張ったのですがねえ。(余談ながら、この結婚『完遂』という言葉は仏語で、『消費する』という動詞を使います。なんだか現実的で面白いでしょう。)
当時フランスのルイ12世は、絶大な力があった。ローマ法王にめでたく、ごり押しで離婚を認めさせ、アンヌ・ド・ブルターニュと結婚できたのですが、、、、これまた、男子には恵まれませんでした!
フランスには、当時中世から続いた悪法サリカ法というのがあったの。男子のみに継承権があり、女子の相続禁止とか王位継承禁止とか。このためにヴァロワ王朝が16世紀末滅びてブルボン王朝に変わっていき、政治の舞台が、ロワールの城を離れていきますが、
「事実は小説より奇なり」。面白い話があるので、これは、また次の機会にね。