穏やかな週末 ー コレ、うちの彼氏が作った昼食の前菜です。
お友達が、結婚50年を祝う金婚式をしました。これは、かつて若き日の結婚式と同じ、市役所の市長、助役の前で、結婚式のごとく行なわれるのです。
皆さん晴れ姿で集まった市役所のシャンデリア輝く「結婚の間」。列席者多数の中、市長さんから、「これからの50年もお互いに慈しみ、助け合い、、、、」というお決まりの挨拶の後、「50年経った今も、まだ恋愛中」と言う二人は、みなの前で長々とキス。そして、列席者一同のどが渇き始めた頃、会場で、アペリチフのレセプション。別会場では、昼食会です。
でも私は、もうお先に失礼をしなくっちゃ。娘たちがパリからうちに一泊で遊びに来ることになっているからです。で、私がレセプションに行っている間、うちのホストがサラダを作ってくれました。菜園で作ったエンドウや、赤たまねぎ、インゲン、サラダに加えて、キャプシーヌの花と葉は食用できる。すてきなオードブル前菜になったでしょう。彼は、盛り付けにセンスが光るよう。私だったら、こうはできない。ファンタスティックな色合いで、食欲も旺盛になっちゃう。
私はホステス役のマダムとして、前日から肉料理とデザートは作ってあるのです。メインは温めればOK。チーズの後のデザートは、簡単にできたフロランタンというアーモンドのヌガーです。これが簡単にできておいしいのですよ。
今日の日曜日は、娘たちとこの村のガラクタ市のオープン・マーケットに行きました。1.5€で恐竜のおもちゃを買ってもらった孫は大喜び。女の子だけれど、お友達と遊ぶときに要るんだって。こうして、かけがえのない静かな時間が流れる週末です。
Carnet de voyage カルネ ド ヴォワヤージュ
これはね、Voyage旅に持っていくスケッチブックのこと。
ロワールに住んでいるとね、絵心をくすぐられるの。誰もいないロワール河やシェール川の岸辺、ひっそりとたたずむ教会、そこに寄り添う田舎家の風情。遠くに見える城の遺跡。ここは歴史遺産の地ですよ。広告塔など全くないの。遠くに行かなくても、(きざっぽく言えば)毎日が、Voyage。
私も描いてみたい。ずっと前から描きたかったのです。日本のお友達に教えてもらった絵手紙から始めました。水彩画教室に通って、少し大きめの絵を教えてもらい、、、。段々と人前で描く恥ずかしさは、乗り越えました。
今日は、絵の具屋さんのお招きで、この地方の水彩画家として有名な、S.Rのデモンストレーションを見に行きました。午後2時から5時までの三時間。開店前から人が並び、、、と、言っても日本のような人だかりではないのが、いいな。
小さな画材屋の奥の机の周りで、20人余りが椅子に座って、、さあ、デモンストレーションの始まりです。
コットン100%の紙の上で、スケッチは素早く終えて、後は、絵の具と水の戦いです。
そこで、教えてもらったことは、スケッチは手早く仕上げないとストレスになるとの言葉。
たしかに何時間もかけてして、最後にうまくできなかったら、失望が大きすぎるよね。そして挫折につながる。
早速、プロヴァンスの花を描こうと、本を注文したりして、かなり、はまっています。
こんな感じで、私も描けたら、最高に楽しいな。明日からがんばろうっと。
とりあえずうちのお庭で始めよう。
ちょっと聞いてくださる? いつの日か、ロワールにいらっしゃる皆さん、前もって、少しお勉強していたら、ロワール地方の訪問がぐっと印象の深いものになりますよ。これ請け合い!
ここに住んで、いろいろな名所旧跡を訪ね歩いていくと、フランスの歴史を知らないままでは、もう一歩も前に進めない時期が来るのです。というわけで、私もフランスの歴史、特に、ロワール地方が舞台になった西暦1400年代以降フランス・ルネッサンスの時期、ヴァロワ王朝時代の歴史に少し詳しくなりました。
わかりやすく、日本に比較すると時代は室町時代後半から織田信長、豊臣秀吉の頃ですねえ。
そう、フランスがいわゆる戦国時代から抜け出したのが、1400年代、ジャンヌ・ダルクの百年戦争後なのです。
ロワール地方が政治の中心となりヴァロワ王朝の華が開いたのですが、悲劇的に世継ぎが途絶えて(これについては、又の機会にね。)1589年別系ブルボン王朝のアンリ4世の即位で中心がパリに移るまでその間、200年間が、ここロワールが歴史の舞台です。
このあたり、どこに行っても必ずといっていいほど、ジャンヌ・ダルクの軌跡と交わるのです。ずっと前から、行きたかったある村の教会、サント・カトリーヌ・ド・フィエールボワ。昨日、そこで、中世祭りがあり、教会の中に入りました。
ジャンヌ・ダルクが、トゥールの町で鎧兜を調達したとき、言ったそうな。
「剣は要らない。サント・カトリーヌ・ド・フィエールボワの教会に、剣が埋まっている。神のお告げがあったから。」
そこで、人を遣って言われた場所を掘ると、大きな錆びた剣が出てきた。触るとたちどころに錆が落ちた、とか。それに力を与えられたジャンヌ・ダルクは、英軍を撃退して行った、、、。
ジャンヌ・ダルクの肖像画を見ると、よく大きな剣を抱いているでしょう。あれ、です。(またまた余談ながら、後世付け加わった言い伝えは、その剣こそ、昔、8世紀トゥール・ポワチエの戦いでサラセン軍の進入を阻んだシャルル・マルテルの剣であった、、とか。それはこじつけ。)
本題に戻ろう。今、ジャンヌ・ダルクが通った道筋の村々には、「この地で、休んだ。」「この地で馬から下りた」的な碑が多く見られます。こんな碑を、年月を追って訪ね歩くだけでも面白いと思うよ。
そして、昨日の中世祭りでは、鎧兜売りで試着もでできるし、ばね仕掛けの大弓を引けるし、、、すごい女性に会いました。
この30才位の女性は、古代から伝わる技術を継承して縁取りモチーフのガロン(テープ状の組み編みブレード)を編んでいるのです。装飾民芸は心のゆとりですね。
このテクニックは、古代に遡ります。写真を見てね。五か所穴が開いた小さな四角い木片に糸を通して編むのですが、半回転するとモチーフが変わります。彼女は、遺跡から発掘された古布のモチーフを見て、仲間と一緒に再現を試みるのがパッションだそう。モチーフも色使いも芸術的で圧倒されました。すごかった。
きのうは、一風変わったおいしいものが食べれるということで、お友達がレストランに招いてくれました。それが、うちからすごく近く、目と鼻の先、ひなびた村のレストラン。ここは牛の髄のグリルが看板メニューだそう。私は、こういう風変わりなものは食べないのだけれど、殿方二人が競って注文。
長方形のお皿いっぱいに長々と横たわっていた髄。一見に値します。このように切るには、電気のこぎりがいるでしょうねえ。
あいにくとカメラを持っていなかったので、レストランに頼んで、食べた後の骨をもらって帰り、おいしそうに再現を試みました。うちで、それが入るお皿は数少ない。おいしそうに見える?写真を撮った後は、骨を冷凍しておいて、パリから遊びに来る娘夫婦の大型犬にとっておきましょ。
これは一人分の髄で、トーストされたパンと一緒にいただきます。かなりコレステロールが高そうですが、今日はそんなことを言ってはいけない。私は軽ーくいなして アスパラガス。メインは、カモ肉または、子羊肉でした。
余談ながら、レストランに入ると、知り合いのグラフィック・アーチストが、カウンターに肘をついてアペリチフしているところ。「きっと、アート創作中に『壁』にぶつかって、インスピレーションを探しているんだね、、、」と私は勝手に想像します。彼氏、この村でロフト風の画廊兼アトリエをしていて、私も去年の夏、グアッシュ絵の具を使ったグラフィックデッサンを習いに行ったの。3日間研修でした。それは3日坊主ということではありません。
彼はすごく日本の現代ポップアートに夢中です。私が持っていた日本の小物を上げたら、飛び上がって喜んでた。
そして、このレストランのカウンター奥でサービスするお姉さん。どこかで見たことがある人。そうそう。この女性、数年前まで、隣村の豪農?をしていて、土曜日だけその農場で一般向け産地直売の野菜を売っていて知り合ったの。
豪農という理由はね。そこに由緒ある昔の鳩小屋Pigionnierがあって、歴史遺産の日に特別に一般公開されたから。鳩小屋といっても、「ウサギ小屋」の大きいものではなく、シャトー風に古いチュフォーの石でできていて、円塔もあるのですよ。昔々、蛋白質源確保のために鳩小屋を持つことは、ステータス・シンボルだったようですよ。
私は、時々自転車で往復1時間以上かけて、そこにトマトやレタスを買いに行ってたの。数年前、この農家が急に閉まって、どうしたのかしら、と思っていたんです。
彼女は農地を売り、転職してこのレストランをしている、、、。
「離婚でもして、財産分割したのかな」とか、私は又勝手に想像します。それにしてもフランスでは、皆さんよく転職しますね。
ということで、これから、サイクリングをするときは、このキャフェ・レストランに立ち止まろう。オーナーを知っているから、アット・ホーム間違いなし。
はじめまして。フランスのロワール地方に長く住んでいます。
時間がゆっくりと流れるような河辺。感動で一杯の日常をご紹介していきます。
豊かな歴史と自然に囲まれたユネスコの世界遺産の地、このトゥレーヌ地方に是非いらしてください。