ちょっと聞いてくださる? いつの日か、ロワールにいらっしゃる皆さん、前もって、少しお勉強していたら、ロワール地方の訪問がぐっと印象の深いものになりますよ。これ請け合い!
ここに住んで、いろいろな名所旧跡を訪ね歩いていくと、フランスの歴史を知らないままでは、もう一歩も前に進めない時期が来るのです。というわけで、私もフランスの歴史、特に、ロワール地方が舞台になった西暦1400年代以降フランス・ルネッサンスの時期、ヴァロワ王朝時代の歴史に少し詳しくなりました。
わかりやすく、日本に比較すると時代は室町時代後半から織田信長、豊臣秀吉の頃ですねえ。
そう、フランスがいわゆる戦国時代から抜け出したのが、1400年代、ジャンヌ・ダルクの百年戦争後なのです。
ロワール地方が政治の中心となりヴァロワ王朝の華が開いたのですが、悲劇的に世継ぎが途絶えて(これについては、又の機会にね。)1589年別系ブルボン王朝のアンリ4世の即位で中心がパリに移るまでその間、200年間が、ここロワールが歴史の舞台です。
このあたり、どこに行っても必ずといっていいほど、ジャンヌ・ダルクの軌跡と交わるのです。ずっと前から、行きたかったある村の教会、サント・カトリーヌ・ド・フィエールボワ。昨日、そこで、中世祭りがあり、教会の中に入りました。
ジャンヌ・ダルクが、トゥールの町で鎧兜を調達したとき、言ったそうな。
「剣は要らない。サント・カトリーヌ・ド・フィエールボワの教会に、剣が埋まっている。神のお告げがあったから。」
そこで、人を遣って言われた場所を掘ると、大きな錆びた剣が出てきた。触るとたちどころに錆が落ちた、とか。それに力を与えられたジャンヌ・ダルクは、英軍を撃退して行った、、、。
ジャンヌ・ダルクの肖像画を見ると、よく大きな剣を抱いているでしょう。あれ、です。(またまた余談ながら、後世付け加わった言い伝えは、その剣こそ、昔、8世紀トゥール・ポワチエの戦いでサラセン軍の進入を阻んだシャルル・マルテルの剣であった、、とか。それはこじつけ。)
本題に戻ろう。今、ジャンヌ・ダルクが通った道筋の村々には、「この地で、休んだ。」「この地で馬から下りた」的な碑が多く見られます。こんな碑を、年月を追って訪ね歩くだけでも面白いと思うよ。
そして、昨日の中世祭りでは、鎧兜売りで試着もでできるし、ばね仕掛けの大弓を引けるし、、、すごい女性に会いました。
この30才位の女性は、古代から伝わる技術を継承して縁取りモチーフのガロン(テープ状の組み編みブレード)を編んでいるのです。装飾民芸は心のゆとりですね。
このテクニックは、古代に遡ります。写真を見てね。五か所穴が開いた小さな四角い木片に糸を通して編むのですが、半回転するとモチーフが変わります。彼女は、遺跡から発掘された古布のモチーフを見て、仲間と一緒に再現を試みるのがパッションだそう。モチーフも色使いも芸術的で圧倒されました。すごかった。