城門と堀だけが残る広大なパーク。
トゥールから南西に60kmの片田舎にあるリシュリューの町。
今を遡って、17世紀、日本では、江戸時代初期のころ。フランス史の中で重要な役割を演じたリシュリュー枢機卿という人物がいるのですが、壮大な城と城下町の建設までしていたことはフランスでもあまり知られていないんですよ。
17世紀といえばルイ13世の時代、国防大臣から宰相になって権力を振るった人物がリシュリューです。権力の座に上りつめ、一代で莫大な財産を築いたリシュリューの夢は、自分の町を造ることでした。
1631年、リシュリューは、王から「外堀、防壁、教会、定期市をもつ町と城」を造る許可を得、生まれ故郷近くのここで土地を接収し、造成を始めました。よってここは17世紀都市計画技術の粋を集めたものになったそうです。ここを訪れて、さもありなん、と納得。当然、町の名前はリシュリュー。
町への通行門と堀
広い敷地に大きな城を建て、その前に城下町。リシュリュー村に住居を構える人には土地を無償で与える。その代わり2年以内に家を建てる事。
2000人の大工、左官、技術者を連れてきて石造りの町を造ったのですよ。それで、堀を造り、町の防壁数箇所に立派な通行門を造り、大通り沿いには、貴族、家臣の館、裏通りは下々の、商人の住まい。住まいは間取りも豪華版、質素版ですべて、統一規格を作り、外装を指定。当時のプロモーターが建売住宅を作った感じ。だから10年間だけでこれほど立派な町が早くできたのですねえ。
立派な門もすべて統一規格。最近、各家は伝統の同色塗料で、門を塗ったそうです。
権力絶大なリシュリュー枢機卿に追従する貴族、利益を追う商人が競って、この大通りに立派な住居を購入せざるを得ず、町が立ち上がりました。この「町」は、1631年から1642年、10年間だけの話。
しかし、1642年リシュリューが亡くなると、建設がストップ。皆この町を放棄してパリに戻ってしまって町は廃れ火が消えたのです。
その後、城は壊され、石は盗まれ、、、家々の屋根や窓は壊れ、、、荒れ放題で、1970年代まで細々としていたゴーストタウンのような町に、今では人が住みつき、活気がよみがえってきた、というお話です。